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特集記事アーカイヴ Issue 2002.09-10

詩の素敵
text: さいとういんこ Inco Saito

たとえば
 わたしはすべての人の幸福を願う
よりも
 わたしはすべてのシュークリームに願う
のほうが詩なのは、なぜだろう。

すべての人の幸福よりも、シュークリームのほうがイメージしやすいから? でもすべてのシュークリームをイメージするのもずいぶん大変な作業だと思うのだけれど。

 わたしはすべてのシュークリームに願う
のほうが、次にどんなフレーズが来るのだろうと期待させるから?
じゃ
 わたしはすべてのシュークリームに願う
 すべての人の幸福を
と書いたらどうだろう。これは詩に見えますか? ちがうな。

感性ではなくて、技術としての詩について話そう。
感性や感受性は誰にでもある。感情が誰にでもあるように。もし、あなたが自分が感じたことを表現したければ訓練すればいい。訓練と技術は表現を助ける。いや、訓練と技術がなければきちんとした表現行為・作品は成り立たない。

小さなミュージック・スクールで作詞を教えている。まず最初の授業で生徒に必ず言うようにしていることがある。ずいぶんベタな例なのだけど。

 青い空
 高い木

は、それだけでは詩(歌詞)にならない。
 悲しい空
 老いた木

は、それだけで詩になる。なぜなら(略)……。

もちろん、青い空・高い木というストレートな表現が適する場合もある。つまり、この2パターンの表現方法を使い分け出来るようになるのが大事なんです。人は日常においてシュークリームに願いごとをしたりしない。シュークリームじゃなくて梅干でもスニーカーでも同じ。普通は結びつかない名詞を動詞と結びつける。するとそこに何か詩的な気配が発生する。

でも注意。
「わたしはすべてのシュークリームに願う」的なフレーズばかりが並んでいる詩は、いっけん詩的に見えるかもしれないが、結局は読み手に届かない。もしくは自分が作った、かっこいい風にフレーズに酔ってるだけのお馬鹿ちゃんになってしまう。もしあなたが読み手を必要としているのなら。

詩は日常に居ながら言葉を組み合わせることによって、日常の向こう側の「心にとっての真実」に書き手と読み手をたどりつかせてくれる。

ね。彼女はシュークリームに何を願うのだろう?

何であれ、その願い事がかなうと彼女は幸せになるんだろう。ささやかかもしれないけど。シュークリームは、ささやかな幸せをイメージさせる(すべての人の幸せよりも)。そしてシュークリームという名前の洋菓子を知らない人がほとんどいないとすれば、シュークリームという読み手がイメージを思い浮かべやすい小道具を使うことによって願い事の質感も伝える。このフレーズには、そういう技術が入っている。

たとえば、あなたが中年にさしかかった男性だとする。気がついたら、かっこ悪いオジサンになりつつある。少し髪が薄くなってきたのを気にしている。結婚はしていない。恋人もいない。仕事中はそうでもないけれど、ふと、どうしようもなく寂しくなることがある。前の晩に飲みすぎたせいで二日酔いのまま休日が終わってしまった。

そんなあなただって詩を書くことが出来る。もちろん絵を書くことも小説を書くことも、もしかして、映画を作ることも(まあ、それを始めたらすでにあなたの人生は変化しているはずだけど)。

だけど詩だったら、すぐに始められる。紙とペン。ワープロソフトがはいったパソコンがあれば。かっこ悪いオジサン予備軍という個性が躍動を始める。20才のHIPHOPな若者や、本好きな可愛らしい女子大生には書くことのできない世界にあなたはいる。

 目が覚めたら時計は午後3時15分
 ぐどっ。ぐどっ。血管が頭蓋骨の中で鳴っている
 うつぶせになり、次によつんばいの姿勢を作り
 のろのろと頭を最後にしながら起きあがる
 自分が臭い

中年男性でもなく酒も飲めない私が想像で書くことが出来るのは、このあたりまでだ。ここから先はあなたにゆだねるしかない。ここから先にある「心にとっての真実」を描くことが出来るのは、そこにいるあなただ。

どんな人生も日常も詩の舞台になる。平凡も非凡と対等なテーマになる。
がんばれ(応援してみたりして)。
でも注意。
だらだらと自分の気持ちばかりを並べたり、「絶望」だの「孤独」だのを連発してはいけない。そんな出来そこないの詩はすでに溢れていて、この星にはその手の詩のための本棚は残っていないから。

自分の気持ちをフレーズにしたらこんどは、1メートル左から自分を眺めてみよう。次は1メートル右から。そして1メートル上から。天井から。窓の外から。自分を景色の中に置いて見よう。その景色に何があるか見回そう。そして次の1行にとりかかろう。

 目が覚めたら時計は午後3時15分
 (起きるのには遅すぎる時間を説明)
 ぐどっ。ぐどっ。血管が頭蓋骨の中で鳴っている
 (肉体的な状態を説明)
 うつぶせになり、次によつんばいの姿勢を作り
 のろのろと頭を最後にしながら起きあがる
 (動作を外側から説明)
 自分が臭い
 (自分が感じるいやな自分を説明)

自分の感情や精神をさぐったあとには、自身を客観視する。それを繰り返しながら詩を仕上げていく。そういう技術。

つぎ。

愛について。詩に愛を注ぎこむ技術。詩そのものに対する愛でも詩の中で描いた対象に対する愛でも。

 きれい
 かわいい
 可憐な
 美しい
 素敵な
 素晴らしい
 輝いてる
 優しい
 きらめいてる
 うれしい
 楽しい
 おいしい
 好き
 抱きしめたい・・・・・・などなど。愛や喜びを伝える言葉たち。
 その言葉たちを使わなくても愛を表現することができる。
 彼はココアみたいな人です。
 彼は寒い冬の夜に飲むココアみたいな人です。
 彼は寒い冬の夜に駅から15分歩いてたどり着いたドアの
 向こうで、そっと差し出されるココアのような人です。
 彼は寒い冬の夜に駅から15分歩いてだどりついたドアの
 向こうで柔らかなオレンジの灯りの下、コートを脱いだ私に
 そっと差し出されるココアのような人です。マグカップを
 両手で包んで、まぶたを閉じます。
 あとにいけばいくほど愛の量が増えていくでしょ。


シチュエーションや動作を伝えるフレーズを増やしていくだけで彼の愛や彼にたいする彼女の愛が浮かび上がってくる。駅からの道のりは何分にしよう。5分じゃ近すぎる。20分では遠すぎる。郊外の宅地造成な感じがしてあまりロマンチックじゃないなあ。10分か15分か。駅から10分は昨今の住宅事情では近いほうになるかもしれない。15分にしよう。遠すぎないけれど冬の夜に歩くには少し長い距離。耳たぶや指先が冷たくなってしまうような距離。部屋の灯りは暖かみのある色がいい。

出される飲み物は少しだけ手間のかかる丁寧なもの。ミルクが沸騰しないように気をつけながらココア・パウダーを溶かす。ちょうどいい甘さに砂糖を少しずつ加えてかきまぜる。そういう思いやり。冬の夜のココアに「思いやり」「優しさ」「暖かさ」を表現してもらう。その言葉そのものを使わずに。そういう技術。はじめに書いたシュークリームの使い方と似ているけれど「ふつうにあること」をもちいている点がちがう。

詩の素敵。日常を非現実へではなく、よりリアルで感情豊かなものに変化させてくれる。そのための技術を3つ伝授。もちろん他にもたくさんある。逆の方法論もあるだろう。これは私はこうやって詩を書いてきましたというちょっとした告白。

リンゼイ・ケンプという舞踏家がいる。彼のインタビューなどをまとめた『スピリット・ダンシング〜リンゼイ・ケンプの世界』(晶文社)という本がある。その中でリンゼイは語っている。驚くほどさりげなく。

「アーティストの壮大な目的のひとつに、世界をよりよい方向に変えるという仕事があります。私も出来ればこの目的に加担したい」。

それは大上段に構えて大きな事を言ったり書いたりするのではなく、日々を詩に描いて届けることからだって始められる。ピカソの作品にはゲルニカも、かわいらしいお皿もあるように。だって本当は「心にとっての真実」こそが人生の真実なのだから。

さあ、すべてのシュークリームに願いごとをしよう。

「明日、・・・・・・・・・・ますように」。

 


さいとういんこ Inco Saito
詩人・作詞家。山羊座A型。村上春樹と武田百合子。一生の男は、スティーブン・タイラー。
詩集『希望について』(スプラッシュ・ワーズ)、リーディングCD『さらさら』(リトル・エルニーニョ・レコード)他。
《おしゃべりな詩人》 http://www008.upp.so-net.ne.jp/little/life2003.html
《SPLASH WORDS》 http://members.jcom.home.ne.jp/splashwords/


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